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そんなある日、春一番が吹いたん。大風の日やった。

バイクに乗った母親が飛んできて

「桟橋がはずれてく!(外れてしまう!)」と。

真珠の基地ってさ、筏に橋をかけとんのよ。

その橋が開いてきた(筏から離れてしまいそう)、と言うわけ。

これを落とすと、後では、もうどうしようもないことになるわけ。

爺さん(高山さんの父)は

ちょうど病院に健康診断に行っとって留守しとったもんで

そりゃいかん!私と主人がとりあえず先に行って引っ張っとく!となって

ロープをなんとか引っ張っとったのよ。

 

30分くらいしてからかな、そこへ爺さんが飛んで戻ってきて

半分沈みかけた桟橋をトントンっと渡って、

船外機かけて、2時間くらいかけて、外れかけとった橋をピタッと戻したんよ。

 

「俺は自分の所の仕事が一番えらい(大変)と思うとった。そやけど、お前んとこの父さん母さんは、こんな想いをしてお前ら3人を育ててくれたんか。俺は自分に甘かった、やっと気がついた。」と、ロープを引っ張りながら父さんが言った。

 

「あんたはいくらえらいって言うたって、穴蔵の中やろが。調理場なんて暑い時にはクーラーかかっとるし、寒かったら暖房もかかっとる。外で仕事しとる訳ではないんやよ。

この人らぁは、津波がくる、台風はくる、赤潮はくる、死んだり生きたりや。

よう今迄無事に生きとったことが不思議なくらいや。

海におったらどんなことがあるかわからへん。」と言うと、

その時はじめて「あぁ、俺は自分に甘えとったなぁ」というた。

 

そうなるまでに、2回、ほっぺた叩いたね。

春一番が吹く前に死にたいって言うたからね。

3回目に叩いた時には「男の顔に何するんや!」って言うた。

「あ、これで死神がおらんなった(いなくなった)。」とおもた。

3回目で死神は出て行ったね。

あっちゃんカルタ
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どんなに辛い事があっても、絶対にグチを言う人じゃないの。

人にも絶対言わへん。

「お父さん、ここに瓶があるとするやろ。ここには一杯の水しか入らへんのよ。

次のやつ入れようと思うたら、水を流したらな、いかんの。あんたは、ここに詰めすぎたの。

なにがあっても私に言いない(言って)。そんなに辛抱せんでええ。」

って言うたら

「お前に言うたら、心配かけるやろが。」って。

 

「心配し合うのが夫婦やろが。こんな大きい病気になってね、

 死にたいと思うくらいになったら、辛抱し過ぎ。泣いてわめいて、

 私に伝えて、ケンカしてもいいやんか、夫婦なんやから。」

 

って言うたけど、

「おまえに心配かけるから、おまえに心配かけるから」って。

 

山の中の貧乏な家の4男で貧乏同士が一緒になったから、

私と結婚するにあたっても、5年間親に反対されて、

「他所へようやらん、板場なんかにようやらん、って反対されて。

お前を嫁さんにもろた時にこの子をどうやって食わしていこか必死やった」って。

「そんな思いで一緒になっとる」って。

 

泣き言いわずに、働いて働いて、そして敦子が生まれて。

父さんも必死やったんやな、本当に。

あっちゃんカルタ
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あつこは小学校に入る前、一年間は保育所に通った。

たった15人のクラスやったんや。

3月23日の生まれやったから、

「言葉もマンマかブーブーしかよう言わんし、あと一週間生まれをずらして、

一年延ばして小学校に通わせたい」と

保育園の園長先生に相談した。

 

いろんな病院に通った。

ありとあらゆる方法で聞いてまわったけど、

5年生か6年生くらいになったら言葉出てくるで心配いらんって言われとった。

でも当時は、4年5年先のことは遠い先の話であって、

いつ、出てくるんかいねーと不安でいっぱいやった。

 

 

 園長先生は「今のクラスの子ら(子達)は、みんな穏やかなんや。だから、

言葉の事は気にせずに、このクラスの子らと一緒に小学校に行かしなさい」

と言うてくれた。

あっちゃんカルタ
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そんでも、入学当初は泣くだけやった。

 

学校から帰ってくるとまず、お風呂のお湯をひっかぶるんよ。

そんで、足首にくるくるトイレットペーパーを巻くの。

学校ではとにかく泣くだけ。

私は学校の下のお寺さんの桜の樹の下で毎日待っとるんやけど

まぁ、毎日敦子の鳴き声が聞こえてくるんや。

近所のばあさんが「また、どこかの子どもが泣いとるのー」っていうて

桜の木の下を通っていく度に

私も涙が出た。

地獄やったよ。

今やったら、学校に親が言うてくらしいんやけど

私らの時代は学校は聖域で、校門の中に入るっていうのは

よっぽどのことじゃないと出来ん時代やったんよ。

あつこは、先生に毎日引きずられとったみたいなんや。

 

あっちゃんカルタ
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子どもの目からみても異常な先生やったんやな

一回、集会の時に、近くのエリちゃんという子が何かで表彰してもろたんや。

そしたら敦子が「エリちゃんどうしたの?」って言うたんやって。

そしたら、先生が「ちょっとこっち来いー!」って言うて

敦子を講堂から外に引きずり出したらしいわ。

この辺の子らが、毎日5、6人連れ立って、

敦子を学校に連れて行ってくれよったの。

そしたら、そのエリちゃんが、私に泣き迫るんよ。

「おばちゃん、敦子がなんであんなことやられんのー!!」って

もう、泣いて、泣いて。

子どもの目にも先生の態度が異常に映っとったんやな。

私は、敦子がまた何かして怒られたんやと思っとったけど

どうもそうではなかったんやな。

そして、そんなことが日常的やったらしい。

 

あっちゃんカルタ
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ある日、私が仕事で留守しとって、母さんに迎えを頼んだの。

ちょうど五月の半ばの炎天下のものすごい暑い相撲大会の日で

母さんは校門で見とったんやって。

そしたら、バケツに校庭の石を拾うて

照明灯の下に石を放って、教室に入るっていうのがあったんやけど

敦子はきちんと石拾うて、バケツも片付けて、きちんとやっとるのよ。

けど、先生は敦子を見やんと「バケツどこへやったぁー!!?」と激怒して

校庭に敦子をぶちつけたらしいわ。

炎天下に引きずられて、上半身裸で放られて、

敦子は2時間、校庭からよう動かんかったらしいわ。

ほいで、それを用務員さんがみつけてくれて。

あっちゃんはちゃんとバケツも片付けとった、と

先生に言うてくれて、やっと教室に入れてもらえたらしいわ。

もう、暴力そのもの、ひどいなんて話じゃなかった。

それを校門で母さんは目撃してしまって。

こんなことが毎日繰り返されていたんだということがわかった。

それを他の先生達が見ても止めてないようやし。

あっちゃんカルタ
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そんな話を聞いたもんんで、さすがにほっとかれやん。

これはもう、学校に言うて行かないかんとなって校長先生のところへ電話した。

そしたら、奥さんがでて「今日浜松へ出張しておりませんやわ」と言われて。

そんなら教頭やと、教頭のところへ電話かけて

「今日の7時にいきますで」と約束して、私と旦那と行ったわけ。

 

そして7時に行ったら、教頭はすでに酒でできあがっとった。

へべれけ。

それでも話を聞いてくれというて、話をしたら

「あの立派な先生をなんとせぇとというんやー」と。

私は先生をなんとかしてくれとはいうてない、

ただ、敦子とテツオがおりやすいように、もう少し考えてくれませんか?

それしかないっていうても

「いー、あんな立派な先生が!!」と

ものすごい怒ってきた。

 

私と主人の真ん中に父がおって

「お前は何者じゃー」と今度は父にくってかかってきたんや。

「敦子はわしの大事な孫や。殺されたたまるかぁ!!」て怒って。

父さんが、今にも飛びかかっていきそうな勢いになったから

私と主人で父さんの腕を必死でつかむのが精一杯やった。

お互い、一歩譲らず、声が荒がってくると

奥さんが、いちご持ってきました、、

メロン持ってきました、、、って飛んできて。

二時間、やんやんいうて。

いくらいうても、あー、ほんなら、ということにはならへんかった。

あー、もうここで話しても仕方がない、もう、帰るぞとなって。

そしたら、でる時に玄関の所で

教頭が「ありがとうございました」って三つ指ついたんや。

そして、「うちの校長もなぁ怒ると怖いんやぞ」と。

なんじゃありゃ?これで話がおわったと思うとんのか??と

バカにされたような気持ちのまま、帰ってきた。

あっちゃんカルタ
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ちょうど親戚の知り合いに、県会議員の先生がおって話を聞いてもらえた。

その先生が僕が収めたろというてくれて

あれから2、3日して小学校にきてくれた。

「この学校にはそんなに石がようけ落ちとんのか?」と。

他の先生は寝耳に水や。

知っとるのは教頭だけで。

大騒動になった。

 

 

次の日、敦子と近所の子ども達との登校中に、ちょうど校長先生と会って

「高山さんすいませんでした、僕の留守しとる間に、大変なことがあったようで。

今からお話を詳しく聞かせてもらえませんか」と、いわれたんや。

「はい、家に一旦帰ってから学校に行きます』と二つ返事で家に戻ると

ちょうど主人がおって、お前が行くとまた、話が大きくなるから

俺がひとりで行ってくると、なって、主人一人で行ってもらった。

ほいで、教頭は10日間謹慎させました。本当にすいませんでした、と謝ってくれて。

それから、他の先生も気にかけてくれるようになって、少しずつ変わっていった。

 

確かに、同級生はみんな穏やかでいい子らぁばっかりやった。

5年生の時にマラソン大会があって、

造船所迄がマラソンコースなの。

一番にゴールしたムネちゃんという子がゴールした瞬間に、ぷいっと来た道を帰っていくの。

ムネちゃんどこ行くんやろうな?とみんなが思うていたところが

半時間くらいしたら、ムネちゃんと小林先生が敦子を真ん中にして、

あつこがんばれ、あつこがんばれって、一緒に走ってきてくれた。

数日して、ムネちゃんのお母さんに会うて、その時のことを話したら

「あの日、うちの息子なぁ、下痢でえらかったんさ。休めいうたんやけど、いうて聞かんもんで行かとったんよ。まぁ、わしとこの子にもえいとこあるんやな、ははは」って。

 

それが、私にとっては一番強烈やったね。

したとか、したったとか、そういう

いう子らぁではないの。

誰にもいわんでも自然にできるわけ。

そんな子らぁばっかりなんさ、敦子のクラス。

 

6年生の時やったかなぁ。

三人兄弟の3人目のミエちゃんという子と同級生やったんやけど、

ミエちゃんのお母さんが「みえは横着で、横着で困っているんや」といっつもいうていたの。

私らぁからみると、ものすごいかしこくて、いい子なんよ。

でも、親からみあたら、気がききすぎとって、兄弟のなかで一番強くて、はしかかったんやろうな。

クリスマスの日、その母さんがシクラメンを持ってきてくれたの。

「どうしたん?」っていうたら

「あっちゃんにお礼がいいたくって」と。

「あっちゃんがおってくれたもんで、わしとこのみえがものすごい優しい心をもってきた」って。

「私のほうこそな、一件、一件、みんなのところに礼をもって回らなあいかんのに」っていうと

「わしとこのみえ、なんとも根性がきつうての、あっちゃんがおって人を思いやるという心をもってきたもんで、礼をいうのは私のほうや。」と。

そんなお母さんにも恵まれて、本当に私は幸せやとおもう。

悪魔もおるけど、天使もおるわ。

 

3年、4年と担任を受け持ってくれた小林先生は、

当時まだ本採用になってなくて講師やったんやけど、

なんでこの先生が本採用にならへんの?っていうくらいえい先生で。

キンコンってチャイムなると、子ども達がいっつも首やら腕やらに巻き付いとんの。

先生も運動場にでたくてでたくて、真っ先に外へ出て行って、子どもらぁと遊ぶ先生やった。

6年生になって、やっと本採用になって、はじめて卒業させるのが敦子らぁやったんや。

 

卒業式の時なんか、小林先生が泣いて、泣いて、泣いて。

生徒一人一人、名前を呼んでいくんやけど

もう、名前読まれへんの。

そしたら敦子が「小林先生、がんばって」って。

「敦子、先生がんばるな」といいながら、進めとった。

この先生と出会えたもんで、今の私がある。まだ、それが続いとる。

 

今でも盆と正月は同級会。

夏は小林先生の家でバーベキュー。冬は鍋パーティー。

はじめは子どもらぁだけやったけど、嫁さんつれてくる、

婿さんつれてくる、子ども連れてくる

ってなって、今では大所帯になっとんの。

その日に合わせて、日本中にちらばっとる皆が帰ってくるのよ。

そして小林先生が「これは敦子がつないだんや、

敦子がおったからこれだけ団結しとるんや」というてくれるの。

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