第3回

主張しない文化

で、やっと本題に入ります。

と言いながら、人から聞いた話なんですけど、

例えば、蝶の飛び方、あるじゃないですか。

あれは、僕らから見ればランダムに飛んでいるんですけれど

蝶にとっては道があってそこ以外は通らないと

生態学の研究者が言っている訳です。

日本の昔の家とか、里山での文化では「蝶道」と呼んで、

ちゃんとその道は通れるようにしてあったそうです。

ちょっと良い話ですよね。

そういうことだと思うんですよね。

他の世界にも気づくべきだ、といっているのは

極端な事をいうと、全くそれがないんだと思って気づかない事が

存在する場所を減らしていると言うことになるからなんです。

いわゆる健常と呼ばれている人たちの争う世界は、

主張も強いし存在も強い。

それは、僕がダウン症の人たちと一緒にいてすごく感じることです。

僕らの社会には勿論、多様なものが共存し合っています。

議論しあってお互いを認識して譲り合っています。

でも、よく考えてみると、この議論の土壌に乗ってくるものって、

全部主張するもの、という前提があります。

種類は違っても全部、主張し合っています。

しかし、主張しない文化というものも存在するのです。

そして、主張というものを知らない文化の方が

平和という事を知っているかも知れない。

僕はダウン症の人たちの文化の本質はここにあると思っています。

 

 

 

例えば、

僕は、このように、お話を聞いて頂けるという

この機会をすごく大事にしていて

機会を頂ければ、どこでもお話をさせて頂こうと思っているんですけど

ダウン症の人たちが「僕らがこういう世界を生きているんだよ」

という風に

主張することはまず、ないのです。

念のために付け加えますが、主張すべきだという教育をして、

そういう風に育てている人たちもいます。

そして、その結果として、主張しているダウン症の方もいます。

でも、僕は少なくともそこに違和感を持っています。

今回はそこまで深入りしませんが、

彼らの本当の幸福を考えたらもっと違う何かが見えるはずだと思います。

そんな訳でここでは本質として主張しない文化という部分で話を続けます。 

主張して来ない以上、それを知る為にはなんらかの方法が必要で

僕はなるべく間にたって、きっかけを作れたらと思っています。

           

「あるよ」と主張する文化というのは

「あ、これと、これとは違うね」

「 じゃ、どうすれば仲良くできるのかな」となる訳ですけど

主張しない文化というのは

さっきの蝶道のように

それを見て、感じて、そこに道があるんだということを知って、

ようやくわかるわけですけど

それがなかったら、

僕らには、ちょっとランダムに動いているというふうにしか見えない訳なんです。

例えば、自閉症の人たちとか多動症と呼ばれる人たちの中には

一カ所に座っていられなくて

いろんなところにとび回っているという場面が多くあります。

それから、てんかん症という疾患を持っている人で、

僕が出会った人の1人ですけど、壁に頭を打ちつけたりする人がいました。

多くの人は、それがどんなタイミングで起こるかわからないから、驚く訳ですけど

少し彼らと一緒に居たり、間隔というのを見ていると

そこには意味なく起きている事はひとつもありません。

彼らなりの必然性があって起きていることに気づきます。

 

 

 

だから、僕は、一緒に生活していた時

ああ、今こうするな、ああするな、

というのが分かりました。

僕らの秩序で図ろうとせず、

彼らの見ている目線に立った時、

これはこういう風に感じる

今のリズムではこういう風に見ているなぁと分かって

全く不自然な事ではなくなります。

つまり、多くの事は、僕らの目線から

その秩序がみえていないだけで

そこにもうちょっと気付いていかないといけないと思います。

 

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